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古代の歴史を学ぶ

 ここでは、絹を通して日本の歴史を見てみましょう。ここには古代、中世、近世、近代の4つの時代から
絹を見ていきます。まず、ここでは絹の歴史の大まかな流れを見てみましょう!

■古代の様子を絹を通してみてみよう!
 昔の人たちの生活を絹を通してみることが出来ます。ここでは、古代の人たちと絹とのかかわりを見る中で、
歴史を学んで行きましょう!
■17条の憲法
聖徳太子が制定したことで有名な「17条の憲法」をしっていますか?この憲法は604年に制定されたものです。実はこの憲法には絹に関する記述があるのです。16条目を見てください。
一六に曰く、民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典なり。ゆえに、冬の月にいとまあらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑とらずばなにおか服(き)ん。

ここには、養蚕の薦めについて書かれている。春から秋までは桑を育てる季節であり、この時期には民を使役するべきではないということが記されているのである。

古代の人々の暮らし
■渡来人
渡来人(とらいじん)とは何でしょう?これは大陸から日本にやってきた人たちのことを言います。この時期に多くの人々が日本にやってきました。彼らは、日本にはない様々な技術を持っていました。その一つが養蚕や機織り(はたおり)だったのです。『日本書紀』などにもこのことが記されています。そして、この「渡来人」が日本中に広がっていきました。それとともに機織や養蚕の技術が日本に広がっていったのです。
 
■大宝律令と絹
645年に中大兄皇子らが起こした「大化の改新」によって新たな政府が立ち上げられました。そして、701年に「大宝律令」が制定されたのです。この大宝律令の中にも絹に関する情報がたくさん書かれているのです!
■口分田
 口分田とは、律令制の中で班田収授法によって、六歳以上のすべての民に授けられた終身使用・用益を許された田のことです。良民男子は一人に二段(約22アール)、女子はその三分の二与えられました。そして、この口分田の中にカイコのえさである「桑(くわ)」を育てることを決められていました。
■租庸調
 租庸調(そようちょう)とはこの時代の日本における税を収める制度のことです。税とは民から上納される貢物(みつぎもの)のことです。そして、この「租・庸・調」のひとつである「調」は絹に関するものだったのです。この「調」は「絹二丈と綿三両(調)を納めること」と決められています。
 このように絹が今のお金のように使われていたことも多かったのです。「遣隋使・遣唐使」という仕組みがこのころにはありました。中国に人々を送ってそこで勉強をさせ、知識を日本に持って帰ってこさせる仕組みのことです。この「遣隋使・遣唐使」は海を渡って中国に行くのですが、海を渡るということはこのころの人々にとっては命がけのことだったのです・・・。そして、その代償として政府はこの人々に「絹」を賞与として与えた、という逸話もあります。
 このころ、絹というのはお金の代わりになるくらい価値のあるものだったのですね!